雫石牛で知られる雫石町で、一風変わったブランド牛を育てている農場がある。岩手山麓の長山盆花平地内。1948年、満州からの引揚者が入植し、切り開いた土地に「ちくまヶ丘農場」はある。手開墾、厳しい自然環境、離農、共同経営を経て今に築かれた農場で、2代目の吉澤貞男さん(55)は2002年から「黒みつ牛」を肥育している。宮城、福島、茨城、岩手の9人で育て始めた牛だが、現在、この牛を育てている農家は吉澤さんただ一人となり、幻の牛となった。仲間が手を引いても、なぜ「黒みつ」にこだわるのか、吉澤さんに話を聞いた。
「牛肉本来のうま味を追求し、うまい肉を作りたかった」。今の肉牛市場はマグロのトロと同じく、霜降り(さし)の度合いで等級が決まり、高い付加価値のある商品として売られている。雫石牛もその一つだが、黒みつ牛は真逆を行く。
肉質はヘルシーな赤身だが、柔らかな口当たり。肉の臭みは少なく、風味がある。成分には、悪玉コレステロール値を調整すると言われるオレイン酸が多く含まれ、ビタミンEは通常の肉の約4倍。脂肪分の融点が低いことも特徴で、人間の体温ほどで溶けてしまうという。
これらの肉質に変える鍵が「黒みつの素」。豆皮に蜂蜜と黒砂糖、ビールかすなどを混ぜて、発酵させた特殊な素。肥育の仕上げに、地場産稲わらなど通常飼料のドレッシングとして与え、肉本来のうま味を開花させていく。
農場では、ホルスタイン種と黒毛和種の交雑種を肥育し、黒みつ牛に育てている。その数は201頭(22日現在)。牛舎は4棟あり、月齢に合わせて保育や育成、肥育で分けている。
牛舎に入ると牛が立ち上がり、こちらへ寄ってくる。人懐こい牛たち。吉澤さんは「牛舎にいる方が落ち着く」と目尻を下げる。「ここにいる間は俺が面倒を見る。出荷する時、最後に俺の面倒を見てくれ」という覚悟だ。
大事にしているのは、信頼関係。「小さい子どもは、周りに認めてほしいと注意を集めたがるが、牛も同じ気持を持っている。牛は人間の言葉を理解している。逆に人間の方が理解していないことが多い。よくしゃべることが大事」という。
農場は1代目の父、喜美男さん(故人)ら戦後の開拓者が築いてきた。約30戸が入植するが、約8割が離農した厳しい環境だったという。吉澤さんが子どもの頃は「三食米」は夢の話。昼はイモかカボチャかトウモロコシのどれか。夜はすいとんだった。
住居を転々と移しては地道に周囲の木を切り倒していった。開墾した18fの牧草地では化学肥料は使わずに、堆肥で牧草を育てている。循環型の農場経営。水は、岩手山の湧き水がある。
BSE(牛海綿状脳症)が転機だった。当時、大衆牛肉は`当たり400円まで下落したという。その一方で特定の銘柄牛は、ほぼ通常通りに取引されていた。吉澤さんは「一農家の信頼関係。これだと思った」と振り返る。
地域の名前をつけたブランドではなく、明確な差別化商品を作りたい―。飼料に詳しい宮城の仲間が発起人となり、産地名に頼らないブランド牛の確立を志した。
「所得を上げるためには重量を取ること、格付けを上げることがある。格付けは、さしで決まるが、赤身の短角牛は一定の人気があり、うま味がある」。9人は霜降りではなく、うまい肉を追求した。
黒みつ牛を世に出し、10年余り。「ほとんどが苦労の連続だった」と吉澤さん。「黒みつの素」は開発まで1年がかかったが、コスト高などから、仲間は5年ほどで半分に減り、今は一人となった。「うまい肉」と「売れる肉」の壁がやっかいに立ちはだかる。
それでも続ける理由は「自分が自身を持って薦められる肉だから」。異端児と思われても「いつかまた誰かやれるように」と黒みつ牛を育て続けている。
(菊地由加奈 記者) 2014年5月23日